いただきます

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html


リンク先をたどらない方の為に一部抜粋
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》


僕は食前食後に必ず手を合わせて(心の中でであることも多いが)いただきます、ごちそうさまを言わないと気持ち悪い。
また、食べ物を残すことに罪悪感を覚える。
自分が食事できるプロセスの全てへの感謝、だと自然に思う。
あまり意識しなくても目の前の食事を作ってくれた人に対しては礼儀として言いたいと思う。
でも、それはとても仏教的だ、というのはなるほど理解できる。
信教の自由は基本的人権でもあるわけだし。


しかし、
感謝対象は、一つだけ、とか
対価を払っているのでそれ以上の感謝は不要(こういう人はチップ文化圏では暮らしにくいだろうし、pricelessな価値、が理解しづらいのでしょうけど)とか
そういう感覚は自分にはピンと来ないなぁ。
(どちらもそれが有効に機能する局面があることも理解できるのですけどね)