生ものである扉
ここんところ騒がしいですが。
色々と思うところはあります。
でもせっかくなのであんまり他の人が書かなさそうなこと。
(と言いつつ、多分ありきたり)
手に持っているこの大根を海岸町の魚と交換。
というのが経済活動の初期段階なのでしょうが、
今や抽象的なものの売買、観念の売買までステージは進んでいます。
そこに伴う胡散臭さは当然あるわけなんですが
胡散臭さを解消しようなどとは考えても今やどうしようもなくなっているわけで
その胡散臭さをそのまま渡っている感じ?
なんだかわかったようなわからないようなこと言っていますけれども。
(お金を稼ぐには汗水垂らさなきゃ、みたいな発言も多いようですが、
その考え方はちょっと古いかも〜って思います。
分かりやすいんですが、ゲームのルールはより複雑になっているので。
例えがよいかはわかりませんが、送りバントや盗塁をしない野球というか。
汗水たらすことと収入を得ることとの間に本質的な関係はないし。)