存在証明

自分が誰からも必要とされていない
と想像することが怖くてたまらない。


だから、
「存在証明を!鳴らせサイレンサイレン!」と唄うアジカンのサイレンや
バンプの一連の曲に強く心引かれる。


一般的にはこうした傾向は
ハイティーンによく見られる。
僕たちの高校時代、尾崎を唄う同級生はめずらしくなかった。
パンクなんてのは「僕はここにいるよ!」表現のよくある形態とすら言える。


こんな自分が子どもが欲しいと思っているのだからお笑いだ。


そもそも、存在証明をしたいという欲求は
欲求でしかなく、
欲求には合理的な存在理由はない。
一般に欲求を剥き出しにすることは他人に不快であるケースも多く
時には抑えることが求められることもあろうと思う。


自分がいることを声高に叫ぶことを、自分がここにいることを許してもらうまさにその為にやめる。
このアンビバレンツ。


と、多分、これは語りすぎ。
まったくみっともないったらありゃしない。
このくらいの我慢ができない瞬間があった、ということか。
どれだけ甘ったれなんだか。


同じように発信されている光を受け止めたいと思います。