ゆるふわengage

「28日の午後に関東のどこか」で同級生が待ち合わせをした。
時空の解像度が低いというかグローバルというか宇宙人の約束のようで好きだ。
昔の日本では、卯の刻(6時くらい?)に出立とか、そんな感じだったりするわけで、もちろんそれは不便、というわけでいわば後進文化であることのあらわれなのだろうけど、がちがちに決まっていない、ゆるふわな約束が気持ちいい。


それは占いにおける「近い将来、何かに出会うでしょう。」というどうとでも取れる表現をするのにも似ている。
小学生の喧嘩で「いつそんなこと言ったよ!何時何分何秒?地球が何回回った時!?」という決まり文句があるが、時空解像度の高さに、あの余裕のない感じを思い出していやなのかもしれない。


例えば、サークルの掲示板に何日、どこそこで何をやってます。来れる人は集合!
で決めずに集まるサークルに対する憧れのような。
(それでも、優秀な幹事は根回しをしているので、それでも大体何人が参加するのか、を誤差±1割とかで読めたりもするのだと思いますが。この辺は空気読み力の話?)


いわゆるlifehackに代表される西洋近代的合理主義の指向とは真反対。
仕事でこんなことしてたら、碌なパフォーマンスは上げられない。


でも、一方で世の中では、何が起きたらどう反応すべきか、がすべて決まっている野球型組織よりもサッカー型組織が指向されていたりもする。


サッカー型組織、というのはそういうゆるふわな縛りの中で、各自最大限のパフォーマンスを発揮する為にどう動くか、を磨いていく必要があって、それはものすごく難易度の高いことなのだけど、成功した時の喜びは果てしない、そんな風に思うのです。