時間の堆積

仲間たちと亡くした友人のご実家にお邪魔。
僕は、語られる学生時代の思い出の数々を共有していない。
自分はこの仲間の中では新参者なのが申し訳ない気持ちに。


もっとも、例えば、幼なじみがそのまま結婚、とかいうケースを除いて、こうした感覚は男女間においても言えそう。
自分は、どうしても、積み上げた共通の思い出なんかが思いのトリガになりがちで、でもそんなことを言っていると新しい人とはどうにもならなくなってしまう。
一方であれから5年経ってしまった割に、仲間内の一人が倫敦赴任になった以外はビビッドな変化は見られないのは、興味深いというか、それがホーム、ということなのか。


書庫に上がらせていただき、そこに並ぶ本が、自分の歩いてきた道と重なる部分の大きさを感じさせてくれたのだけど、共通の趣味があると呼び合う、ということはあるのかもしれない、と思う。
この三連休の間、自分が諸々から逃げ続けている感じを正直な友人からズバリと指摘されたりする中、彼の持っていた真摯さに思いを馳せると恥ずかしくていなくなりたくなったりする。


でも、それでも、いつでも「ここ」から始めればいい、ということはあるのだと思う。


でも、もう始められない人もいて。
もっと話したかったなぁ。。。と思うのです。


そして、今、話をできる人たちに話をしてみたいと思う自分であり続けたいと思うのです。
(変な背伸びをすることではないのだと思うけど、それはなかなか難しい?)