「萌え」とは何か

ここ二日、MLで「萌え」とは何かの議論が白熱。
普通に興味深いやりとりです。
exciteのこの辺がバックナンバー含めて楽しいです。http://media.excite.co.jp/book/daily/wednesday/002/
とりあえずは僕の意見を。


萌えに、コミュニケーションはないんじゃないか、ってのが自分の立ち位置。
自分の萌えツボをひたすら自分でつきまくってトランス状態になってまたツボをつく、という徹頭徹尾自己完結した感情が萌えだと思うんだよね。

「君が好きだ!」とは言うが「君に萌えた!」とは言わないってのは、
好きだってのはコミュニケーションだから相手に伝えるけど、萌えたってのは自分の中だけでの出来事だから相手に伝えるものではない。

O君が言ってるのは「今の萌えたよね?」とか「あれって萌えるよね?」とヲタ仲間で、お互いに確認し合う行為のことだと思うんだけど
それは萌えることとは関係がなくて、萌えるという現象を経過した人同士が、その事象を報告しあっているに過ぎないんじゃないかと思いました。

「ある対象に対して、その人独自の嗜好により勝手に情報・物語を付加してうっとりする状態」が萌えなのかなぁ。
高レベル萌えら〜は、
勝手に付加できる情報も高レベルなので、
(この勝手な付加情報の基盤が上でO君が言ってる予備知識で付加情報を呼ぶ触媒が儀式的様式美なのかな、と)
一般的な、はにゃ〜んにのみならず、カトキ立ちとか、ぬれせんべいとか、もっとなんだかよくわからないものに萌えたりするんだろうな〜とか。

明日の君も好きなのは、明日の君は無いんだけど、今の君から演繹的に想定可能で、そこが好きってことかなぁ?
この場合、対象の置換は困難だよね?
萌えに関しては、いったん対象を定めたら、後は勝手な付加情報で盛り上がれる。
んで、実は対象は置換可能、と。

なんか、そんな風に考えました。
こういう話って楽しいなぁ。