キツネの嫁入り


光が雨滴で拡散して世界が黄色くなっていた。


最近、漫然と考えるのは
「優れた表現」
とは何か、ということ。


なによりも必要なものは「問いかける力」
だという思いは変わらない。
その表現に触れた人間(もしかして人間以外も?)に対して
「あれっ?」と考えさせ始めるトリガになるもの。
いや、別にひっかかりでなくてもいいのだ。
それを見たり、聞いたり、嗅いだり、触ったり、味わったりした時に起こる反応の大きさ。
多分、それが鍵。
手っ取り早いのは
あからさまな謎を投げかけること。
「これを何だと思いますか?」
と問われれば多くの人は
「はて、これは何だろう?」
と考え始める。
でも、それでは与えられた枠組みを越えられない。
何かを見た時に、自分でその問いかけをスタートさせるような力。
単純に、綺麗だ、とか変だとかでいいような気がする。
そのきっかけ。


その意味で、この写真はまだまだなのだけど
黄色い光と中心の世界に降る雨の雫が世界の引っかき傷(この解像度では見えないか)のようでそれなりにはおもしろい。


最近ではエキノコックスの感染元として忌み嫌われる主に北海道にしか生息しない狐だけど神の使いとしての機能は、、、もう失われているかな。
光の雨が降る
という事実の説明として「狐の嫁入りなんだよ」というのはなんだかむやみに幸福な感じがして好きだ。