ゆれる

監督が広島出身だったり年齢がほとんど同じだったり、となかなか冷静ではいられない。
(しかも、やっぱり、「あの」学校じゃねーか。あー、もやっともやっと)


これだけ人の感情に訴える力を持ったものを産み出せていることに嫉妬する。
それは映画だったり絵画だったり音楽だったり小説だったり漫画だったりゲームだったり、あるいは(というよりも包含的に?)人との関係性そのものだったり。


生来、自分は嫉妬深いようだ。
嫉妬の感情というものは、もう気が狂いそうなほど攻撃的だ。
目の前にあるものは素晴らしいものだ。
一方、お前はだめだ。お前は何も産み出せない。お前にその権利はない。
お前は行動するだけ無駄だ。


本当は「嫉妬」などと名付けた分かったつもりになってはいけないのだろう。
もっと、名状しがたい感情なのだ。
怖くて怖くてたまらない。
(とここで、戦友たつきも「なんだか怖い人がやってきて自分を叱る妄想」の話をしてくれていたことを思い出した。)
怖くてたまらない。
取るべき道は二つ。
・たたかう
・にげる
まほう とか どうぐ とか気の効いた選択肢はない。
そもそも、一見二つある選択肢は実は一つだ。
今戦うか、将来戦うか。
結局、戦わない道はない。
(時間の経過の問題では多分ない。また、一般的に後に戦う相手ほど手ごわい)


劇中の兄の気持ちが痛いほど分かる。
(どうして、僕はあいつが持っているものを持っていないんだろう。笑うしかないじゃないか。)
一方で、弟の気持ちも痛いほど分かる。
(僕はどれだけ多くのものを周囲の人たちからもらっていることか!)


世界の境界線は、ここのところの日差しのようにくっきりはっきりしているものではない。


自分が産み出せているものをフェアに評価してあげないと
というとある先輩の言葉は含蓄があるなぁ、と思っています。
(その言葉が向けられた対象は僕じゃなかったんですけどね)