事象と事象の連鎖反応

命を大切にしないやつなんて大嫌いだ。
夏にあれだけ連呼されていたにも関わらず、命がたいせつにされていないような事象の報道が増えています。
(この連呼されていた言葉と昨今の事情との関係については友人からのメールで気づけました。ありがとう)
まぁ、テハヌに嫌われても別にいいし、という話はあったりなかったりするのかもしれませんが。^^;
なんというか、ここ!と決まったらそこにわーっと群がる感じというのはまぁ、あるだろう、と思うんです。
対象に何かが殺到するイメージ(お風呂の栓を抜いた時の水が抜けていく感覚)。
連鎖反応。


仮に、いっさい報道がされていなかったら、続発していたのだろうか。
発信する側の人たちも馬鹿ではないので、そうしたことに心を痛めながらも、それでも、起こっていることを知らせないことそのものはいけないことだ、という感覚で行動し続けているのでしょうか。
見たり聞いたりすることによって、人間は何かを考えることができるのだけど、
見なくても、聞かなくても「想像する」ことができるはずなのに、、、
という思いが僕の中にはあるのですが、
その想像する力が、どんどん奪われる方向の力が現在は強いように見えます。


なんちゃら基本法案を通したい人たちが、、、
みたいな陰謀を妄想したりもしてみちゃったりして。
(それが、本当か嘘かなんてのはどうでもよくて、じゃあどうするよ?ということの方がずっと重要なのだと思います。)


あー、何が言いたいのか我ながらまとまってないな。
読みづらい文章をすいません。