続・情報はいかに集まるか

言葉を尽くせていない感じもありますが、いただいたコメントやメールから思ったことをつらつらと。
長いこともあり、読みたい方だけどうぞ。(笑)


JBが逝った
ということと
あの人に伝えなきゃ
ということが強く結びつくようにしておきたい
ということなわけです。


それは縁ももちろんあるのだけど、そこのパス(通り道)を活性化させられているか
ということの方が重要だったりするのかなぁ、なんて。


何かの刺激を受けた時に、シナプスはどこに信号を運ぶのか
脳内ネットワークは、基本的によく通るところがより強く結びつく性質があるので
(一方で、たった一回でも100%パスが通るところもあったりして、その仕組みは解明されつつあったんじゃないかな)
自分が欲しい情報を入手した人が、その情報の入手と同時に自分を想起するようにしておくといいと思うのです。
例えば、毎日「俺様はJB大好きだYO!ゲロッパ!」って言ってれば、まー、誰かから教えてもらえますよね?さすがに。
同様に友人から結婚する、ということを教えてもらえるかどうか、
昨日、こんな楽しいことがあった、ということを教えてもらえるかどうか、みたいなところにもそういうことはあるんだと思うのです。
(まー、こうした情報は場合によっては、鈍く重いダメージを与えてくれる場合もあるのでいい面ばかりでもありませんが。
それでも、知らないよりは知っている方が、いいのだろう、と思うのです)


そういうところもあって、自分が日々、何をし何を考えているか
というのを発信し続けることに、多少なりとも効果があるといいなぁ、などと思ったりもするのです。


一方で
そもそも情報の価値って何さ、みたいなところで非常によい示唆(ああいう問題提起だったりができることが知性なのだとつくづくと感じつつ)をもらいました。
例えば以下のような情報取得はどう評価されるのか。
ア. 営業担当者が昼間に定食屋で見るテレビから得る情報
イ. 非常勤監査役が勤務時間中に読む新聞から得る情報
ウ. 経理担当者が勤務時間中に喫煙室における雑談から得る情報
エ. システム開発者が残業時にコピー機に置き忘れられた他部署の資料から得る情報
オ. 業務管理者が休日出勤時に2ちゃんねるのスレッドから得る情報


自分は、ありとあらゆる情報をいっぺん糞も味噌も関係なく、なんのフィルタもかけずに全部飲み込みます。
で、そのもやもやとしたものを時間をかけて消化するような仕様になっているようです。
(だから、ものによっては仕入れているんだけど使えない状態、になってたりもしてまーいろいろややこしいのです)
が、普通は人生経験の中でフィルタが実装されますんで、もしかするとあまりこういうこと考えないのかもしれません。