パンチラ考

ランチ中の他愛もない会話より。
今日は風の強い一日でした。
昼、友人との待ち合わせに遅れて馳せ参じたところ
「待つという行為のマイナスを打ち消すほどのプラスがありましたよ」と。
聞けば、マリリン・モンローばりのパンチラを見たという。
ありがとう風。
だが、どうして自分が来るまで待てなかったのだ(笑)
ああ、こんなのキャラじゃない。。。
似合わないことはやめとくもんだな。


哲学属性の高い二人だったからか、そこから話は妙な方向へ。
結局、パンツならなんでもよいわけでなく、それこそタモリ倶楽部のオープニングに顕著なように、おっさんのパンツではダメであって、いわばパンツはパンツだけでは機能せず、これこれこういう人のパンツが風の作用によって偶然視界に飛び込んでくるというその文脈がこそ、心を揺さぶる原因なのである、という話。
一方で無条件にパンチラならOKというプリミティブというか原理主義的なパンチラマエストロもいるに違いないのだけど。


こうした話。絵画なんかだとわかりやすい話ですよね。
それ単体として訴えかける作品というのはもちろんあるのだけど、マネの草上の昼食のインパクトとかはやはり、文脈を理解していた方がより鮮明に理解できるのだろうし。
一方で、時代が下がれば下がるほど文脈は分断されて、作品単体として機能し始めて、まー、ポストモダン的な、、、云々。
ほんとどうでもいいですね(笑)