プロセスを作る

僕はあまり賢くない(そんな才能的な認識はよくありませんね。怠惰さ起因の磨き不足です)ので、自分が考えていることの輪郭をたどるようなアウトプットができず、アウトプットしてみたことから自分はこういうことを考えていたのか、と思うことが多々あります。
そんなこともあって、日々、日記を書くことにしたのかもしれません。
書き始めた中三の時には「毎日なにかしら書いてりゃ、いいことあるだろ」的な考えと、日々が流れていくことのもったいなさ(ストックできないことへの恐怖?※)を感じていたのは覚えているのですが。


先日アニメ顔の全裸の少年が投げ縄を射精している2m級のフィギュアがサザビーズで16億で落札されたことが話題になっていました。
僕は現代芸術の文脈の勉強不足なので、それがどうこう、ということは言えませんが、多くの人が誤解(かどうかもわからないのだけど)しがちなことがあるように思います。


それは、作った物自体に16億が払われたわけではない、ということ。
芸術の売買くらい尖鋭化されたシチュエーションだとよく理解できるような気がするのですが、作家が生み出しているのは作品だけでなく、その作品を鑑賞する環境というか状況(まさにプロセス)なのだと思うのです。


その意味で、金曜深夜から日曜夕方に放送時間帯が変わってその視聴率の低さに苦しむ動画サイトにうpされまくってる作品なんかもいい感じで、ぼくらはどう作品に降れるのか問題を提起してくれている感じもします。


先日、友人たちと千葉のネズミ王国が好きかどうか、という論議になった時にも、あんなもんは糞、という人に対して、どうしようもない怒りを感じたのを覚えているのですが、それも、作ったもの自体の云々でなく、その場でどんな楽しみ方をして欲しいか、を設計されている感じ、に起因したように思います。


「ものづくり」の重要性の再認識がうたわれて久しいですが、ものを作るのでなく状況を作る、その意味で、自分は10年に渡って「サービス設計」に関われていることは幸福なのではないか、とあらためて思ったりするのです。
僕は人は自発的に行動する、と心のどこかで思っているので、隙を作れば突いてもらえる、と思ったりして、どうもうまくいかないことも多いのですが、一方で、手を引いてあげないと人は動かない、ということ(それは例えばアフォーダンスが教えてくれるように人の主体性は実は外部にあるのかもしれない、ということとも関係しているかも)その辺は、ケースに応じたバランス(それこそが空気読みかと)取りが必要なのだとも思いますが。


備忘として、書きなぐってしまいました。。。


※だから当時異常にビデオ録画をしていましたし、物を捨てられない自分の性質の根っこみたいなものが見えます。ストックからフローへ、というのが基本なので、明確に逆行してしまっているのだけど。。。脱所有欲!「持たない」と言う所有を!(一応、プロセス創成と話としてはリンク)