母校にて失った物の大きさを思う

母校に、しかもサークルや部活動の学生がたくさんキャンパス内にいる当時の雰囲気を思い出せる状態の母校に行く機会がありました。


諸々のリソースの中に浸かっていたのに、幾分の情報過多もあってそのリソースをうまく利用できなかった、今ならもっと有効に利用するのに、という悔しさを感じました。
もっと、興味の赴くままに勉強することもできただろうし(とは言え、義務化すると途端に逃避行動が始まってしまったりもするのかもしれませんが)もっと、たくさんの人と友だちになることもできただろうし(当時は「大人」じゃない、自分が一番モテる的なギラギラした競争原理の中にいたりしたからやはり難しいケースもあるのだろうけど)。
でも、きっとそれが運とか縁とかを感じさせる由縁なのだろうし、今の自分が持っているものをフェアに評価することも大事だと思います。


そもそも、時間の経過によって失うもの、の悔しさは、この社会の根本原理なようにも思いますし。
(だから、預金には利子がつくのだと思います。それは突き詰めれば人は死ぬから、に他ならないのだと思いますが)