パラノイアック

小さい頃から、何でも自分に言われてるんだと受け取りがちな子でした。
母親が妹を叱る時にも、ぽかーんとイマイチ深刻に受け止めていない妹の側で、兄が「うん。。。わかった。。。」と深刻に見当違いの頷きをしているのを見て、母は「あんたはええんよ、、、(困)」と戸惑った、という逸話が伝承されています。


だから。
http://careerzine.jp/article/detail/101
(しばらくは会員登録しなくても読み放題みたいですが、時間が経つとログインしないと読めなくなるよう)
これは自分に向けて書かれている!
とよく思ってしまいます。
そう思うなら、あらゆる書かれていることを自分のこととして受け止め、自身をよりよく改善していけばよいのですが、まるで自分はそのようではなく、そこには深い絶望が横たわっているのです。
どうして、自分にはできないんだ。。。と。
どうして、自分はそうしないんだ。。。と。
どうして、自分ではないんだ。。。と。


あきらめて放り出してしまうことは馬鹿げているとも思うので、至らぬ身ですが、せいぜい悪化しないぐらいには頑張っていきたいと思います、が。
人間誰でも最初は若いので、頑張ればほぼ必ず成長するという体験をするわけですが、いつか必ず頑張っても成長しない、という状況に直面する時が来る。
その時に開き直るようなみっともない真似でない、ありよう、というものがあるのだと信じています。
(一つの参考として。
 僕の先輩が、当時、彼が今の僕の年齢の時に「自分はもう人生折り返しである。それはもう成長がない、それは必ずしも何をやっても無駄、駄目ということではなくて。」というようなことをしきりに言っていました。
そんな時、奨励会のルールによって若い段階でその壁に直面することになる棋士やスポーツ選手の生き様はそうした状況を極大化して見せてくれていることにより、参考になる部分があるのではないか、という話をしていたように思います。)


当座、目の前にいる人たちが暗く俯いて日々を送るようなことがないように、笑っていられるようでありたい、ぐらいのこと(その程度では困るんだよ。という声が聞こえてくるようですし、その程度なんて言われても結構、難しいことでもあるように思いますが)は成し遂げて行きたいとささやかに思うのです。


あの記事を読んで、なおお前はこうした文章を書くのか、という感もありますが。。。