好きさのバロメーター=そのことを思う時間の量?

誰か、何かを好きである、その好きさ具合は、そのことを思う時間の量があらわしている、と言っていい場合があるのかなぁ、と思う。
あるアイドルが好きな友人は年間数十本の全国ツアーに帯同し、そのアイドルが好きな自分をそのアイドルが好きな人たちのコミュニティ、なにより対象そのものからのフィードバックを受けて自分がどのくらい好きなのか、そして誰よりも俺はあの子のことが好きだ、と自信を持って言える状態に自らを持って行っているように感じる。
自分も、昔、誕生日にうっかり告って振られた相手にそれまで片思いだったその思いをその日から急に「なかったこと」にするのが難しくて、どちらかと言えば筆無精な自分に、毎日メールをすることを自分に課した(ここで客観的な思考ができなくなるとストーカーまっしぐら)ことがある。


人間が持てる時間は有限。
どんなにあがいても一人一日24時間。
そのリソースを何を想うことに充てるのか。


もっとも、かけた時間こそが恋の大きさ、だということになってしまうと、新しく出会った人に恋することはできなくなってしまう、というよりも、どんな新しい恋人も古い恋人に勝てなくなってしまう。
それに抗うように、新しい相手との時間をむやみに増やす、というのはなんだか少し違う気がするけれども、何かが好きになれば、ほっといても心の中の常駐ソフトはそのことばかりを考え続けるので放っておけばよいのかもしれない。


あと、かけた時間、ということであれば、なにより、朝から今日の昼は何を食べよう、今日の夜は何を食べようと考えてしまう自分は、食べ物が恋人、ということになってしまうのだけど。