日常に潜むホラー≠ホラ話

僕の元の上司は顔と名前を覚えるのが苦手だ、と以前からよくこぼしていた。
部下である僕のことも部下である時はさすがに覚えてくれているようだったが、一緒にいる時に、元部下だったという人とすれ違う都度「あの子、なんて名前だったかな〜」なんてことを言って僕を不安な気分にさせてくれた。


ある日、オフィスの下りのエレベーターに慌てて乗り込んでから、いつものように扉側に向き直り、表示灯がカウントダウンする様子をぼんやりと眺め始めたところで後ろから声をかけられた。
振り返るとそこにはその上司。
僕は内心「あぁ、今日は思い出してもらえてるみたいだ」と安心しながら「ご無沙汰しています」というような返事をした。


と「やまてさんって知ってる?」と尋ねられた。
「キミと同じ大学だって言ってて、、、」
僕はどうも心当たりがないまま「やまてさんですか、、、や、心当たりないっすね〜」と答えながら、エレベーターの扉が閉まるのを悲しそうに眺めた。
「あ、今の階で降りるんだったんだよねぇ?だめだよ〜そんなんじゃ生き残れないよ〜っ」などと言って笑われてしまう中「実は僕が降りようと思っていたのは今の階ではなくその前の階で、あなたが話しかけてきてくれたものだから、自分が降りる階のボタンを押しそびれたばかりか、その次の階でも降りそびれてどうやら受付階に行くことになりそうです」などとはとても言えるはずもなかった。
口から出た言葉は「あ、いや、大丈夫っすよ。また昇ればいいし、、、」みたいなものだったように思う。
そんなことより、ここでの問題はその僕を知っているというやまてさんだ。
「あ、学年は違うみたいだけどね?なんか、キミのことを知っているみたいだったから、、、」
どうにも心当たりはない。
俺様も有名になったものだぜ、とほくそ笑むほど不遜ではないけれども、自分のことを知ってくれている人がいるという事実は自分が世界中から無視されているかも知れないという恐怖から僕を救い出してくれる。


「あ、今度こそ降ります。ではまた〜」
ずいぶんと階段を歩いて登る羽目になった大元のやまて某。自席に戻ったら社内イントラで検索してみよう。


カタカタカタカタ。


「やまて、やまて、、、と。山手、でいいのか?」
それらしい人は、、、いない。。。


そういえば、社内か社外か、男か女かから分からない。。。


やまて某が知っているというのは本当に僕のことなのか。。。


いや、そもそも、あの人は、名前を正確に記憶していたんだろうか。。。


なにより、僕はエレベーターに乗ったんだろうか?