最終日〜偉大な科学者のお墓参り

ウェストミンスター寺院


高野山は実にさまざまな時代、さまざまな場所の人のお墓が集められているところがユネスコからも高く評価された、なんて話を聞いた記憶があります。
福澤翁の「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」を具現化しているというか。
ここ、ウェストミンスター寺院にもなんとなくそんな感じを感じました。
もちろん階級感覚の根強いイングランドですから、あらゆるクラスの人が眠っている、ということはなさそうですが、世界史で習った諸々の王様、女王様やルイス・キャロルなんかの墓碑を見るとやはりときめきます。
(今回、お邪魔させてもらった友人もかなりの歴史オタクで、方々で、ときめくなぁ、、、ともらしていたのは印象的)


その墓碑をほいほいと踏める感じには驚きを禁じ得ませんが。。。
その下に埋めてるんだよね?
にしては、臭ってこない、というのは、気候が日本の様に高温多湿でないから?
でも、この旅中こそ、からりとした秋晴れに恵まれましたが、日々、陰鬱な気候と聞いていますが、、、あぁ、湿度は低いから洗濯物もすぐ乾く、って聞きましたね。そういうことみたいです。そうじゃなきゃ土葬しようなんて思わないよね(笑)


なお、墓碑を踏める、踏む、という点に、どうやら彼らは、なんの違和感もないようなのですが、その文化の人であれば、踏み絵なんてのは、なんともない行為なのかもしれません。
であれば、島原あたりで踏み絵を発明したのは、本邦の人、なんでしょうかね。


話は戻ってたくさんの人が眠っている話。
と、その前にお墓参り、について少し。


僕は小さい頃から自分が生まれる前に亡くなった祖父の墓の前で会ったこともない祖父と対話をし続けていました。
記憶にある最初のお墓参りに行った時に親に「みんなお墓の前で手を合わせて心の中で何をしゃべってるん?」と聞いた記憶があります。
お題目を唱えているだけ、という人から、安らかに、、、的なことを願っている、という人から、近況報告をしている、という人まで実に様々。
僕はまだほんの子どもだったこともあって、あのね、、、と祖父にあれこれ報告を心の中でしていたことを覚えています。
そして、それは今もなお。
なので、自分にとって、お墓参りは鎮魂の意味合いというよりは、偉大な先達との対話なんですね。
今はもう直接声を聴くことができなくなってしまった人と対話する。
それは、もちろん自分の脳内で勝手に作り上げた「その人」との対話にはなってしまうのだけれども、場合によっては目の前にいる人とですら、脳内で勝手に作り上げた「その人」像との対話、と言えてしまえもするわけで。


と、そのようなお墓参り観を持つ、僕なので(?)。
偉大な科学者アイザック・ニュートン先生とチャールズ・ダーウィン先生のお墓の前で、いや〜先生の見つけたあれやこれやはマジすごいっす、ぶっちゃけ微分積分とか大好きっす、進化論ばんざーい。(両者のお墓は近くにありました)みたいに浮かれてしまったのは言うまでもありません。(笑)


ちなみに、イングランドの10ポンド紙幣の肖像はチャールズダーウィン
アメリカではまだ主流という創造論者には耐え難い不快感があったりするんでしょうか。


こうして、慌ただしくお墓参りをすませ、その足でロンドン塔と今大変なことになっている三大証券取引所の一つのロンドン証券取引所のあたりの空気を感じる(平日の兜町は最近、どんな空気なんでしょうか)寄り道もして、空港でのんびりする時間はまったくないまま飛行機で飛び立ったのでした。


最後に、ロンドンぽい写真をもうひとつ。
日本もバスに鮨詰めにお客さんが乗っている路線はダブルデッカーにすればいいのに。。。