邪魅の雫

ようやく読み終わりました。
ミステリとは結局のところ
行為者と行為を受ける人と行為の方法と行為の動機があって
そのどれかがわからない状況※になっているのを探偵が明らかにする
それ以上でもそれ以下でもないことを物の見事に明らかにしてくれるこの一連のシリーズは最高。


京極堂&榎さん(今回は青木君や郷嶋さんもよかった)が格好よすぎるので、単なるキャラ萌え小説として見ても秀逸です。


※行為者が分からないものはフーダニット行為の方法が分からないものはハウダニットと一般に言われていますね。
動機がわからないのはワイダニットか。
行為を受ける人がわからないとそもそも事件が発生しないので、難しいのですが、多分そういうトリッキーな作品もありそうです。


本筋とは関係ないけど、心に残ったのが
「たとえ盗んだペンによって書かれたテキストであってもそのテキスト自体の評価を貶めることにはならない。何によって書かれたのか、と何が書かれているのか、を丁寧に分けて考えないと誤る。」的な一節。


最近まで(というより現在もなお)の自身の業務が、非常にその出生のプロセスがあれだったりして、関わった人がみなちょっと恥ずかしそうだったり忘れたそうにしていたりしたがっているムードがあったりなかったりするようなものなようなそうでないような(歯切れが大変悪くてすいません)なんですが、何が産み出されたのか、はやはりフェアに見ないとだめだなぁ、と感じる次第。
(このあたりはどこかで聞いた、どんなに練りに練って世に出しても駄作になることもあれば、2分で思いついたようなものでも名作になることもある、みたいな話とも関連するのかもしれません。)


非常にまずい例えで人によっては大変な不快感を感じるかもしれないので申し訳ないのですが、
例えば、恥ずかしい理由(僕の価値観ではリゾラバなんて恥ずかしいと思います)でできちゃった(この表現もいやなんですが)子、みたいなケースにおいて
その理由がその子の価値を貶めることは絶対ないですよね?
(一方で、なかなか切り離して見れない場合もあったりするんですかね、、、いやだなぁ。。。)
そういうことなんだなぁ、と思ったりしたのです。


蛇足1
まー、長々と言いましたが、
言いたかったのは、
バイアスを出来る限り排除して評価することって大事
で言い尽くせそうです^^;


蛇足2
本当に蛇足っぽいですが、ネガティブバイアスもポジティブバイアスもどっちも危ないっす。
自戒を込めて。