65億人いれば誕生日が同じ人は1780万人

日本だけでも、300万人くらいいそうなことを考えると、ことさらに特別なことでもないような気もするけれども。
小さい頃の僕にとって、誕生日、というのは、他の誰のものでもない自分だけの特別なかけがえのない日でした。
一人ひとりがそういう日を持っているもので、その日が他の誰かと同じ、ということもある、という当たり前のことに気がつくまでに多少の月日を必要としたように思いますし、正月やクリスマスというまた別の特別な日と重なる人もいる、というこれまた当たり前のことに気がつくまでに同様の月日を必要としたように記憶しています。


自分は、世界にひとつだけの花などではなく、数ある花の一つなのだ、という認識こそが独我論に疑いを持つほとんど唯一の契機なようにも思います。
過度に卑下する必要はもちろんない。
しかし、自分は世界にひとつだけの花なのだ、と強く思い過ぎると、空気が読めなくなるのは一方の真実であるようにも思えます。


今日、生まれた彼は、生まれながらにしてごく身近に誕生日を同じくする男を意識しながら育ちます。
その彼がいかな人生を送るのか。
暖かく冷たく見守りたいと思います。


追記。
某SNSでは、なんと誕生日コミュなんかもあったりして、誕生日が同じという点でつながりあったりしててすごいと思いました。
365種類(366種類)もあるので、バリエーションが豊かな気がしますが、それでも無理なタイプ分け(人はそんな単純なタイプ分けで理解できないはず、という立場から書いています)のひとつ、ではありますね。