バーチャ

高校生〜浪人〜大学時代には、ものすごい時間をゲームのプレイに充てた。
当時、信仰の対象としてしまっていた※神様集団というのはやはりいて、
バーチャを世の中に送り出したAM2研は間違いなく自分にとって一つの神様だった。
友人たちと毎日寄り道をしてバーチャレーシングを競い(あのハンドルにかかる重さの表現が見事だった)、スト2全盛期に今度は格闘だ、と知って大笑いしたあの日。
当時まだプレイステーションはこの世になかったのだけど、その孵化直前のタイミングで販売戦略の一環としてゲームの製作者を前面に出していく(当時は堀井さんぐらいしか名前知られていなかったのでは?宮本さんの名前すらあまり前面には出されていなかったように思う)ようなことがだんだんとやられはじめていた時期だったことも自分がAM2研を神格化したことと無関係ではないだろう。
その神様集団に所属していた人と偶々話す機会を得られた僥倖に感謝。
人の織りなす世界は、どんな世界でもほとんど変わることはなくって、であれば、その都度都度の人間関係というのはたぶん予測可能なのかもしれない(ラプラスの魔ほどの精度はもちろんないだろうけれども)。
そんな中で目前のつらいことや逃げ出したいことは相対化されていくのだけれども、何もかもを相対化してしまうのは一方で愚かしいことだとも思ったりしたのです。


※余談だが多くの人が思春期に特定のアーティストなどに信仰を持ちやがて卒業していくという現象は原始〜中世〜現代の人の心の移ろいに似てもいるようで興味深い。
どんどん話がズレるが、今週の電脳コイルでもシムアースのような世界がヒゲとしてみんなの顔にできる、という非常におもしろい話をやっていて、その小さな箱庭世界の中でもやはり「神は死んだ」とか言いだすキャラを登場していたのがおもしろかった。