それはその作品中に表現されているのですか?

例えば、ある映画を観た人が、興奮した口調で
「あの映画はすごかった!なんと言ったって構想5年の製作費50億!」
と言ったとしよう。
これはさすがに誰でもが
「それは映画についての感想じゃないだろ。」
とつっこめるじゃないかと思う。


一方で、僕自身はそれがそこに存在している背景や文脈に思いを馳せることでその対象により一層の愛を付加することをよくするし、世間ではこうしたものの見方が実に多いようにも思う。
スポーツ観戦の視線の多くはこれ。「●●選手は怪我を克服して見事勝利をつかみました!」とか。


でも、藤子F先生が言っていたというエピソードとして記憶しているのだけど
「難産だった作品がいいとは限らないんですよね(苦笑)。」
というのは正にその通りだと思う。


もっとも作品の善し悪しを何をもって判断するのか、と言えば、
特にその作品を市場を通して金銭的な価値に置き換え流通させようとするならば、世間で多く採用されている「背景・文脈への思い込み」込みで値付け(作品の善し悪し判断)が行われるのではないか、と思う。


だけど、ただひたすら純粋に、その対象を見つめ、対象と語らい、何がそこに表現されているのか、を追い求める姿勢は美しい。


そのように純粋に作品を見つめようとする人に対しては、当然作品に全てを込め切る必要があって、「これぐらいわかってくれるだろう」という甘えがあってはならないのだろうと思う。