制限選挙

ここ数日制限選挙について考えていた。
(ということを3日遅れでちょっといいジャストアイディアが閃いたのと合わせて書いておこう)
今、この国は議会制民主主義、という政体をとっている。
だから、国をどうしたいか、ということは基本的には「投票」という行動によってのみ実践可能だ。
この力は、あまりにも小さい。
というのも投票行動の結果は「多数決」によって判定されるから。
だから、本当になにかを実践したい、と強く思う人は、票を「集約」する。
そのプロセスはたぶん鈍い。


自由民権運動などの成果として今の直接民主主義があることを重々承知した上で、制限選挙について検討してみることは自由なのではないかと思う。
昔は、納税額で制限していた。
これは、納税額の高い、つまりはそれだけの所得や資産を持つ人(これをブルジョワと言ってしまおう)だけが参政していて、そうしたブルジョワフランス革命ブルジョワ革命だったり、明治維新も、、、みたいなことを思えばそれはある意味当然か)によるブルジョワのための政治(=「メリット」を配分すること)が行われていた、ということ。
その後、「メリット」を産んでいる人たちに広く、、、みたいな流れがあって、一億総中流みたいな時代を経て、現代。


低すぎる投票率(つまり熱心に投票をする人たちの要望が通りやすい、ということ)。
投票しようとしても誰が自分の考えに近い人なのか投票に値するのか、の不鮮明。


で、よくわからないままに投票して、意に反する投票行動をしてしまうぐらいだったらそうした投票を無効にする仕組みを作るといいのかもしれない、と思ったり。
思いついたのは、
投票する前に、簡単な試験を行って、試験の点数が一定以上だったら有効票とすること。
さあ、どんな試験をするといいんだろう。


投票行為が独裁者を生んだ奇妙な逆転の歴史を思い出す必要もむろんあるのだけど。