スルー推奨 移動中の電車にて

心中が激しくイラつくのでせっかくの移動中に少しアウトプットしてみる。
基本的にこの行為は排泄なので他人は特殊な趣味がないかぎり不快だろうと思う。
醜い私は赦される資格がないと思うがそれでも赦されたいというあさましさ。自分の中で処理しきれないからこそアウトプットするのだろうが、そのアウトオブコントロールぶりがまた醜い。(が助けて欲しいと思っているのがまた、、ループ)
このイラつきの原因は、追い詰められた感だと思う。
やりたくないことをそれでもやらなければならない(責任とか義理とか将来の自分を守るためとか様々)場面は多々あって、なんとかそれをやりたいことであるかのようにしてみたり(ハンバーグにニンジンを刻んで入れるメソッド。自分はなぜかニンジンが嫌いにならなかったので不要だったけど)我慢したりする。
我慢の容量は、ちょっとした拍子にあふれだす。それは他者や自分への暴力として姿をあらわし、例えば迫りくる鉄の固まりに我が身を投じる衝動となって襲い掛かってくる。中学生の妄想で自身が制御できない眠っている力が暴走するものがあるが、あれに顕著にあらわれているように思う。
この暴力(エゴの声?)と付き合う術を身に付けるプロセスは誰も教えてくれないからみんな苦しんでいるのだろう。
だからといってエゴ全開でオッケーという話ではないだろうし、衝動的な行動の結果はたいていロクでもない。
潰す。消す。無くす。
やらなければならないことをやりたがらない自分を。
他人に甘えようとする自分を。
そのしんどさに耐えられるまで。

多くの弱音は他人にとっては、まーったくどうでもよいことなので、他者にできることは気をまぎらす(問題と直面することの回避)ぐらいなのでは?
もちろんいけない自分の殺し方(ドラえもんのきれいなジャイアンの話を思い出します)の手法は学べるかもしれないけどその手法を採択・実行するのは自分自身。


うーん、少しは落ち着いたかな?
単に昼を食べそびれただけ?