あきらめのよさ

朝、いつもとは違う場所に直行する電車の中で、最近起きている事件のことを考えたりする中、自身の変な執着心のなさというか諦めの良さの根っこに気がついたので書いてみよう。
それは、幼稚園〜小学校低学年の頃の頻繁な転勤。
一年ごとに転勤してたと思います。
で、その時その時でものすごく仲の良い子がいても、あらがえない事情で引き離される、そうした経験が、変な執着心のなさを育んだような気がします。


「世の中にはどうしようもないこともある」
それを幼児体験で骨の随まで染み込ませることがたいせつなのかもしれません。


デパートで「買って!買って!」というあの駄々に屈しない。
それもただ聞き入れられない、という状況でなく、本人が、自分の抵抗の虚しさに気づくような形で終わらせられるとベストかと思うのですが、そうした積み重ねが大事だったりするのかもしれません。


願えば叶う、というのは現代にありがちな間違いの一つだと思います。
だから、こんなに願ってるのにそれが叶わないなんておかしい!となるのかもしれません。
まず願い、その願いを実現させる為に努力なり工夫なりをすると叶う、そういうことだと思うのです。


例えば、自分には、買って欲しいものがあったら、駄々をこねてもどうせ買ってもらえないと思って、いかにそれの購入がよい結果を産むのか、を親に説いたおもいでがあります。だから我が家にはファミコンがなくてパソコンがあったり、、、