人の見分けがつかなくなってきた?

昼休みに二度も、知らない人を知っている人と見間違えた。
一人は今産休中の人。
冷静に考えれば今まさに産むかどうかぐらいだと思うので、こんなところにいるはずもないのに。


知っている人がいることに気がついているのに無視するのも感じが悪いので、笑顔を浮かべて、近づいていき、あまつさえ手まで上げたりしたものの、人を間違えていた時の、この手の持っていき場のなさ。
いや、ちょっと頭がかゆかったんだよね〜
という変化すらできず、虚空をさまよう手。
手の上下運動?筋トレ?


一方で、朝、出勤する際の気分の悪い中や、いやなことがあった時に一人で歩いている時には、他人は目に入らない。
ガン無視状態になっていることをお詫びいたします。


眼鏡はかけてたので目が悪くなった、ということではないのだと思う。
文脈(例えば、ここに座っているなら○○さんとかここで会うなら△△さんとか)から切り離された時に、その人を認識しづらくなってきた、ということかも知れない。
本来、人には、その人がどんな服を着てようと、髪型を変えていようと、その人がその人である、ことを認識するものすごい力が備わっている(ロボットアイにはなかなかこれが難しい)のだけれど、その力が弱まり、より脳の機械化が進んでいるのかもしれない。
おそろしい。。。
(この症状が悪化すると、嫁さんの髪型が変わったことに気がつかない駄目親父になってしまうのかもしれない。。。一方で、あれは、髪切ったことに気がついていても、それを嫁さんに言うのは恥ずかしくて照れくさい、という親父のかわいいツンデレな一面だと理解されればもっと世の中ハッピーなのに!)


その人がしそうな格好をしてその人の席に別の人が座っていても、ひょっとして気がつかないんじゃなかろうか。。。
まぁ、ファッションに個性のある人の真似を別の人がしていたら、その見分けは実際問題、つきにくくなるのだろう、とは思うけど。


人の顔認知の実験で、いろいろな表情×髪型×服装とかでいくつか呈示して、正答率なり反応速度なりを取れば、どこが効くのかわかっておもしろそう。ってかもう誰かがやってそう。
日本人の場合、視線は、眼球の向きより、顔の向きの方が効いているとか、近所でやられてた気がするなぁ。。。
刺激用に自分の顔写真撮られたような気がするなぁ。。。


オフィスに戻ったら、また珍しい顔を見かけたのだけど、自分も会議が入っててゆっくり話すこともできないまま会議から戻ってきたらもういなくなっていた。
知っている人を見かけたら違ってた、ということが続いたので、つい周りの知っていそうな人に「さっき、あの人いましたよね?」と聞いてしまった。
今度はあたり。
よかった。


音楽ユニットとかのメンバーの顔の区別がつかないなんてのは、まぁ、興味の問題だったり、そもそもアイドルだったりすると顔が奇麗な方向に均一化されてて差異が小さくなってしまっていたり、ということがあるかもしれない。
そういえば、中学生の頃、夢で会えたらぐらいの時、ダウンタウンの二人の見分けがなかなかつかなくて、妹に、これまっちゃん?これはまちゃん?と相当確認したことがあるのを思い出した。わかってしまった今となっては、区別がつかないということがまるで理解できないけど、つかない時ってのはつかないもんで。
やっぱり人の認識の仕組みってのは、おもしろくてたまらない。