壷を褒める時に皿を貶す必要はない

「ウラガン、、、あの壷をキシリアさまに届けてくれよ。あれはいいものだ!」

マ・クベさんの末期の言葉です。
(マとクベのどちらが姓でどちらが名なのかいまだにわかりません><)


最後の最後まで上司にいい壷を届けることを気にする立派な方として描かれていますね。
そして、その壷はきっと、それに値する素晴らしい壷なのでしょう。


このように、何かをいいと思う時は、それがどれだけいいのか、を語ればいいのだと思っています。
「あの壷はいいものだが、あの皿はそれに比べて底が浅くて、まったく愚にもつかん代物だ」
なんて言われたらちょっと興ざめです。
こういうことを言う時、というのは、実際には、壷がいいことをいいたいのではなくて、皿を貶したいだけなんですよね。。。


壷も皿もいいものなんだけど、とりわけあの壷はいい壷でね。。。
まず素材がいい。そしてその佇まい。あと爪の先でちょっとはじいた時に奏でる音色の美しさと言ったら。
その上、軽い。ちょっと落としたぐらいじゃ割れない。しかも、この壷が我が家に来てからお金は拾うし、喧嘩してた上司と仲直りできたし、素敵な彼女はできるわ、ご飯は美味しいわ、もういいことずくめ!
最高!


これでいいんですよね。
皿が好きな人に対して「私の好きなこの皿は駄目な皿なんだ、、、」と悲しい気持ちにさせる必要はまったくない(攻撃したい場合は別なんでしょうけど)と思うのです。


もちろん、自分もよくやっちゃうし、やっちゃったことでまったく不要の不快を周りの人に与えてしまって反省したり、ということがしょっちゅうなので難しいことなのは重々承知しています。
特に自分がそれをいい、と思うことに自信が持てない時に、自分が選ばなかった対象を価値のないものだと自分に言い聞かせて心の安定を保とう、という自己防衛メカニズムなんだと思います。
しかも、よくよく考えると、こういう「AとBがある時にBの駄目さを言わずにただAの良さを言えばいい」という言い方自体が「Bの駄目さを言うこと」に駄目出しをするという「おまえもか」構造です。
かように、困難がつきまとうことだと思うのですが、それでも、いや、だからこそ、できる限り「良さ」「それを選んだ理由」を言うことに専念していきたいと思うのです。