リプレイスする?しない?

買うか買わないか迷うぐらいなら買ってから後悔すればいい。
そうすれば買うべきでなかった場合には、買って減ってしまった持ち金(による一時的な食糧減や娯楽減)が買ったことの罰として機能するし買うべきだった場合には買うことによって得られる素晴らしさを享受できるのだから。
しかし、これは夕飯の松屋で豚焼肉定食を頼むかそれをWにすることで550円→750円というちょっとした満足感とまた一歩天使サイドから豚サイドにコマが進んだという絶望感を得る場合ぐらいの話なのかもしれない。


この日は朝から雨で車検の終わった愛車を受け取りに行ったその後、興味のある(といっても今の仕事に生きるかもしれない、という功利的打算であまり魂レベルで求めている感じではないようなのだけど)フォーラムをやっていたので母校の学祭に行こうかと思っていたのだけど、朝寝坊で全部おじゃん。
で、愛車を受け取りに行った場所で、未公開の新型機をちら見してしまった。
自動車が耐久消費財ということの意味を、つまりは1台最高の1台に出会ったらそいつと最後まで一緒に過ごすという覚悟で今の愛車は購入したのに、その態度は誤りであるということをまざまざとつきつけられた。


「今」ならボロボロのしかしまだ55000?しか走っていない愛車に50の値がつきそう。
破格だ。
リプレイスすれば燃費も伸びる、、、


5年前購入した時には、家庭を持ったらもうちょい大きいやつ、と思ってたけど、結局5年経った今でも独り身であることを思うと、そうしたことは考えてもしかたがないらしい。
気がつけば家も、ついに転勤者として優遇措置が終了するタイミングで家賃出費が増えることになる。
FP的にはこうしたことは「その時」気がつくことではなくて最初から見えていることですよね、という風に考えて計算していくのだろうけど、自分はどうもそうした打算的な計画性が苦手だ。
小学校の夏休みの計画表とか大嫌いだった。
全体の生産性向上のためには計画的であることが重要なのは言うまでもないし、大きなプロジェクト(ロケット打ち上げるとか)だと関わる人たちがそれぞれ適切に行動するためにもスケジュールであるとかタスクチャートだとかが必要なのは理解できるのだけど。


あと、今、自分が手にしている持ち金はある日、空から降ってきたものじゃなくて、どこかで誰かが払ったものだということを全然、実感できないのが情けないのだけど、でもそれは忘れちゃだめなことな気がする。


とりあえず、シンセは売ってみるか。(1万円になれば御の字)