「このはしわたるべからず」の話はいつ作られたのか考えてみる

一休さんの頓知として有名な「このはしわたるべからず」という制約条件に対して真ん中を歩けばよい、というソリューション。
ってかこんなコンサルタントに依頼した会社は迷走しそう(笑)
橋が落ちて川に落ちても知りませんよ。


さて、この頓知。
橋と端が同音異義語ということで成立する話なのですが、一休さんが暮らした室町時代の京都では、すでに端を「はし」と発音し、橋を「はし」と発音したのでしょうか?


端は「はた」とかそういう発音が古語※っぽい。
はし=はしの逸話は最近作られたんじゃね?なんて思えてきます。
※もちろん、古語っぽさの感覚は鵜飲みはできないところもあって、「あなや!」と実際に叫んだわけはなく、叫んだ声を「あなや!」と表現することにした、というような言文一致する前の約束事があることを踏まえなくてはなりません。


ちょっと調べてみました。
ネットで大辞林検索ができたので見ていると端を「はし」と読む使い方自体は、意味はともかく、平安時代からある様子。
であれば、一概に後世の作、と断言はできかねます。


かけ言葉とかを発明してきた日本語の使い手達ですから(まぁ当時の貴族は暇で暇で仕方がなかったようですから、それはもういろいろ発明していた様子ですけど)やっぱ当時からそういう同音異義語でコミュニケーションがズレる、みたいな楽しさを見つけていたのかもしれませんね。