anti-lifehackというlifehack

日常生活の便利なtipsをlifehackと呼んで、お互いに共有し、人生をより快適に生きよう、という潮流があります。
hackという言葉が入っているように、まさしく、生活規範そのものを取っ替えるぐらいのインパクトが物によってはあるように思います。
本質的には、幼稚園の頃に習う「人のいやがることをしない」「約束は守る」「挨拶しよう」とかそういうことだと思うんですけどね。
で、このlifehackについて思う時、僕は数学の二次方程式の解の公式を自分で見つけた学問のないそれでも数学を学んでみようとした人の話を思い出します。
自力で数学の二次方程式の解の公式を見つけられることと、知識として与えられた数学の二次方程式の解の公式を使って二次方程式を解き、さらにより高度な数学体系を展開していくこととの間には、僕には優劣がつけられません。
lifehackなんてなくなればいいのに、なんてことを言うつもりはまったくないし、ものによっては、自分でも利用させてもらうこともあります。
でも、どうしてそうしなきゃいけないのか、を自分の中に一回通しておく作業を怠ると、形骸化し、何をするための行為だったのかがわからなくなる、というそこら中で頻発する事例の一つになりさがってしまうと思うのです。
いつだって気をしっかり持って!
ということでしょうか。


ちょっとだけずらしてみると、近代の啓蒙的な知がやっていた複雑な世界を理解するためにそれを分解して部分的に理解する、ということでは理解しきれない状況が頻発するとい限界が来ている中、いろいろごちゃまぜなものをごちゃまぜなまま理解できるんじゃないか、という期待によって迎えられたポストモダン的な考え方を、近代的な知の背景をすっとばして、いきなりポストモダンから運用し始めると、疑似科学とか、トンデモ理論に正に飛んで行っちゃうんじゃないか、なんて。