例の二番目の人生の「実写」動画


実世界を模して造られた世界をもう一回こちら側のリソースを使って再構築。
もう何回も裏返ってて(実世界→仮想化世界→実世界)個人的にツボ。
終盤の椅子はちょっと残念(笑)


ちなみに「仮想化世界が過疎化」みたいに言われててニヤリとしました。


さて、こうした共同幻想が世界を形作っている、というのは非常に興味深い話。
フィクションが妙な現実感をともなっている状況を僕たちは目にします。


たとえば
秋葉原モビルスーツバー「連邦軍」と「ジオン」誕生
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1066586.html
ちなみに、この書き込みにまったく同感!
>突然天井が落ちてきて客がみんなで押し戻すアトラクションとか欲しいよな


本当の歴史の検証をしてはいけないような空気もあったのかなかったのか、架空の歴史を生み出すことに情熱がそそがれています。
古代の春秋戦国の武将の生き様が故事成語として現代の状況を表現する言葉として生きているように、心の中に生きた言葉として残っているものがあるように思います。
モビルスーツの性能の差が戦力の絶対的差ではない」(昨日の00でグラハムが言っていたのには00スタッフの魂を感じました)とか「認めたくないものだな、、、若さゆえの過ちとは、、、」とか一部の人間には、へたな故事成語より強く心に残っているに違いありません。


読まなきゃと思っているベネディクトアンダーソンの本なんかには「そもそもナショナリズムとかも共同幻想だよね、んじゃ、それがいかに生まれリアリティを獲得していくのかちょっと見てみよう」とか書いてあると思うので読まなきゃ。


こういうのは社会学の領分なんでしょうか。
僕にはいろいろなもの(進振りの点数とか下支えする根気とか)が足りず断念したことを悔やむ瞬間もありますが今を肯定し、未来をよりよくしていこうとも思います!